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最高裁判所第三小法廷 昭和25年(れ)1715号 判決 1951年5月08日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大内省三郎の上告趣意第一点について。

原審の認定した事実によれば、本件詐欺は俗にモミと称する詐欺賭博によるものであって、見物人には一の数字を書いた紙玉を落し入れると称して金を賭けさせ、金を賭けたものが一の数字のある紙玉を拾い上げたときは賭金の三倍相当の金をやり、もし他の数字のある紙を拾うたときはその賭金は胴元の所得とするという方法であり、被告人においては一の数字のある紙玉を「数多紙玉中に落して混ぜるように見せかけ実際は混入せず巧に自分の手中で他の数字を書いた紙玉と取替え」るというのであるから、賭金した見物人には勝つ機会が全くないのに拘らず、その機会があるかのように欺罔して賭金を騙取するのである。論旨は、モミ賭博に手品が介在することは社会常識であるから詐欺にならないと主張するがかかる場合に客は手品に乗らないつもりで賭けても胴元の手品に引かかるのであるから、やはり錯誤に陥つた結果金銭を交付するのであって詐欺の要件を具えていることはいうまでもない。されば、原判決には所論のような違法はない。

同第二点について。

原審の認定した本件詐欺の方法は、第一点に説明した通りであって、原判決の認定した事実は賭金した見物人には勝つ機会が全くないのに拘らずその機会があるように「盛にその方法によって客に勝負をすすめ、被告人内田辰次と中川宗行、山本まさ等は見物人の中に居て勝負するように見せかけて客を誘う所謂サクラの役をつとめ、被告人荒井定市は見張となって警戒の役をしていると見物人中の平沼秀順こと金白水(当時二十五年)がうまく欺しの手に乗って勝負しようと決心し」たというのであるから欺罔着手のあったことは極めて明白である。それゆえ、論旨は理由がない。

同第三点について。

原判決は、所論金白水が「船室に金を取りに行った」ことを認定しているが、同人が金を所有していなかった事実までをも認定しているのではない。のみならず、旅行中の船客は多少の金銭を所有するが普通であり又他人から金銭を借りることもできたかも知れないのであるからたまたま金白水が賭金に足りるだけの金銭を持っていなかったと仮定しても金銭騙取という結果発生の可能性はあったのである。されば、詐欺の被害物件がないのに犯罪成立するものとした違法があるとの論旨は理由がない。

よって、旧刑訴四四六条に従い、裁判官全員の一致した意見により主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 長谷川太一郎 裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介)

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